落選した政治家が「私の力不足です…」と謝るのは美徳か

駅前で頭を下げる女性と男性

こんばんは、佐藤ことです。

Twitterアカウント復活しました。しばらくお休みし、ご心配をおかけした皆さま申し訳ありませんでした。

今後も東京都北区で政治活動を続けながら、積極的に発信をしていきますので、何卒よろしくお願いします。

さて、今日の夜はこちらのスペースにお邪魔して、高橋さん木元さんとお話を。

高橋さん木元さんとは、以前Clubhouseでお話ししたことがあり、そこからTwitterで繋がってたんですが、お話しするのは久しぶり!

衆院選の総括をしながら、話は主権者教育へ。

その中で高橋さんから、

「選挙は古い慣習に縛られすぎなのではないか?ルールだけではなくて、例えば落選したときに政治家は『私の力不足です』と、若い候補者もみんな口を揃えてそう言う。そういった態度が有権者の責任感をなくさせ、政治を遠ざけてないですか?もっと有権者の側も『勝たせてあげられなくてごめん!』と思った方がいいのでは?」

というような指摘を受け、ハッとしました。

私も落選を経験し、やはりこの言葉は自然と口から出てくるものでした。

私自身、”候補者”というのは役割のひとつでしかなく、自分が描く社会のビジョンに近づけるためにチームみんなでやっていくんだ!と思ってはいたものの、

なかなか友人たちにボランティアに参加してもらえず人望がないのかなと悩んだり、銀行の残高はどんどん減っていくし、子どもとの時間がとれず我慢をさせてないか不安になったり。

選挙期間前から政治活動中はつらい気持ちになることが数多くありました。

(もちろん楽しいことや励まされることもたくさんありましたが!!)

でもその度に、「誰も手伝ってくれない」「なんで私だけ…」と誰かのせいにして他責思考をしていたら、正直精神が保たず、立候補を諦めていたと思います。

もちろんたくさんの方に支えてもらったことが一番の励みでしたが、「まず自分が率先して頑張ってこのチームをひっぱるんだ」と奮い立たせなければ乗り切れなかった。

そういう姿勢で選挙戦を戦ってきたので、結果がついてこなかったことには「私の力不足で…」という気持ちに自然となったんだと思います。活動の中で候補者になっていくというか。

しかし、政治家がすべてを引き受けて「私の力不足です」「私の責任です」というのは美しいけれど、それによって有権者の無力感に繋がる可能性もある、思考停止では?という指摘は、なるほどなあ…と考えさせられました。

自分にはまったくない視点だったので面白かったです。

もっと同世代や、より若い世代が、政治にカジュアルにコミットできるように、自分ができることを考えて巻き込んでいきたい。改めてそう思いました。リアルな活動に参加してみるとまた違う世界が見えるかもしれません。巻き込まれたいよ!という方はぜひご連絡ください。

それではまた。