本日8月16日は母方の祖父の誕生日。
すでに亡くなっているのですが、留学中で通夜も葬式も出られなかったため、今でも生きているように感じます。(おっちょこちょいで、いつも大怪我しているのに「ガハハ」と笑い飛ばす、死ななそうなおじいちゃんだったので。)
祖父の母は、戦中に幼い祖父をおいてブラジルに移民。孤児になった祖父は「おなかいっぱい食べさせてくれるから」という理由で特攻隊へ志願。特攻隊と言っても、戦闘機ではなく「身体に爆弾を巻き付けて戦車に突っ込む」という作戦だったようです。終戦は、祖父が出征する誕生日の前日でした。
そういった思い出もあり、終戦の日は毎年祖父のことを思い出すのですが、今年は初めて東京で過ごす終戦の日。
自宅で黙祷したのち、午後から娘を連れて靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に訪れました。
終戦の日、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑 ふたつの追悼の場で、祈られたこと(BuzzFeed)
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/71-86-kudanshita
靖国神社と比べ、あまり知られていない千鳥ヶ淵戦没者墓苑。こちらは1959年に国が設置した公的な慰霊の場。遺族の手に戻らなかった軍人・軍属・民間人の遺骨が眠る「無名戦没者の墓」であるとともに、先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑です。
終戦の日ですが、靖国神社と比べると人もまばらで、本当に静か。献花台の脇で花を購入し、娘とともに祈りを捧げてきました。
私は祖父を通して戦争への繋がりを感じるが、娘はどうだろうか。戦争を経験していない私が語れることはあるだろうか。
墓苑の中でもはしゃいだり我がままを言ってみたりする娘の姿に、75年前の子や親たちの苦しみを考えると、複雑な感情がこみ上げます。私たちはこの平和を噛みしめて、戦争を二度と起こしてはいけない。そのために何をするべきか、学び続けてまいります。
私たちは被害者の記憶を受け継ぎながら、しかし同時に私たちの国が加害者でもあったことを忘れてはいけないと強く思います。
どれだけの犠牲を出しても戦争が存在するのは、敗戦国にすべてを押し付けることができるからこそだと、戦勝国である英国で戦没者追悼式に参加して身に染みて感じました…。 どんな理由で始まったとしても戦争とは不平等なもので、 終わったらノーサイドなんてありえない。 国民や個々人の苦しみは置いてけぼり。
だからこそ戦争は悲惨で、絶対に始めてはいけない。これは私の中では揺るぎないものであります。
今回は娘連れのため、近くにある昭和館は訪れることができなかったので、また平日にも行ってみたいと思います。
様々な事情で靖国神社参拝に抵抗がある方も、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にはぜひ足を運んでみてください。
それでは今日はこのへんで。